皆さんこんにちは。
オミクロン株もピークを越え、少しずつ昔の状態に戻りつつあるなと思うニュージーランドです。
日本ではもっと落ち着いていると良いなと思います。
さてこのコロナウィルス、オミクロン株ですが、昨年ニュージーランドで行われたロックダウン中に、娘が作文を書いたんですね。それを今回は紹介しようと思います。
娘の作文の経緯
前回のロックダウンはかなり長く4ヶ月くらいはあったような気がします。基本的に学校は閉鎖され、会社は出来る限り家から行う、いわゆるステイホームです。
この方針、最初こそ国民は従っていました。しかしやはり国民性なのでしょうか、数カ月も経つと次第に守らなくなる人が増えてきて、フィジカルディスタンスは守らず、ホームパーティは見つからなければいいみたいな風潮にもなって来て、しまいには「自由が欲しい」という意見が声高に叫ばれるようになってきました。
こうなるともはやロックダウンやステイホームは全く功を奏さなくなってきます。
連日の「一部の『自由』を崇拝する人たちが起こす、行き過ぎた暴動」についてのニュースを見て、娘は「自由」とは一体何なのかを考えていたようです。
そして今回の作文が生まれました。
娘の作文「人の自由とは」
上に説明した背景を元に、今回は「自由」とは何かという事で、娘は作文を書きました。
12歳の作文なので流れのまとまりのなさは目をつぶっても、子どもの洞察力が良く分かる作文となっています。以下に紹介しますね。
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ニュージーランド人は、ロックダウンになるたびに「自由」を求める。
しかしそもそも「自由」とは何かを考え直さなくてはいけない。私が思うに、「自由」とは何かを気ままにする事ではなく、「やりたいし出来るが、それを達成するには努力をしなければならない」という事になるのだと思う。
やりたい事がすぐに出来てしまうのは、つまらないと思う。「大変だが、がんばれば出来る」というのが「自由」だ。そういう人生が「おもしろい」と思われる人生であり、最初から全能な人間は「とてつもなくつまらない人間」という事だ。これが私の意見である。
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この作文を読んだ私に娘が「でも全能な人なんていないから、みんな努力しているんだ」と言っていました。
作文についての私感
私はどの作文も面白いなあと思うのですが、一つ言うなら、本論で展開されている、娘の思う「自由」を踏まえ、それでは序論で展開されている内容にどう返していけるか、どう関連付けて結論と出来るのか、そこまで書けたら最高かなと思いました。
それを伝えていきたいのだけれどなかなか時間が…というのは私の言い訳ですね。
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