人の死について

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師走と書いて12月を意味するように、年末ともなると突発的な予定が沢山あり、人々はそれぞれに忙しい日々を送っていることかと思います。私もその例に漏れず、多少忙しい日々を送っていましたが、その間に沢山のニュースを耳にしました。

 

その中にはショッキングなものもありました。
私の周りの方々が立て続けに何人かこの世を去ったという。

 

それを知った時の衝撃は、それを表す「言葉」という道具もただのガラクタに過ぎなくなります。こういう時にこそ残された方々に向けて、この気持ちを一ミリの互いもなく表せる言葉が必要だと思うのですが。

事実をただ前にして、その衝撃から適切な言葉すら出てこなくなる自分の無力さを毎回思い知らされる度に、人は「言葉」という道具では結局自分の気持ちのなんて言い表すことも叶わないのだろう、そして正確に伝えることも叶わないまま誰ともこの気持ちを分かち合えないのだろうと、そう思ったりします。

 

人は結局のところ、1人で生まれ、1人で何かを感じ、それを共有できた気になったまま、最後には1人で死ぬのかもしれません。

 

 

それにしても最近、若くして亡くなる方が増えたように思います。
一言「なぜ」という気持ちしか起きません。
原因の1つであるものに関しては予想はつきますが、私の知っている方々の死がそれに因るものとは私は絶対に考えたくありません。

 

この世に残された私達は、この先輩方々の死によって、一体何を学ぶべきなのか。
分からないまま、しかし目の前にはいつもの日常が流れている。
しかしこの日常だって、永遠に続くことなんてないわけで。
そう思うと日常こそ実はありがたいことなんだとハッと気付かされます。

 

追記:

その後半年近く経ちました。少しづつその衝撃は時間薬と共に真珠の様に丸みを帯びてきました。しかし確実に私の中に残っています。きっとこの気持ちを抱えたまま一生を過ごすのでしょう。人生は一生をかけた学びであるのかなと、改めて思い知らされます。

 

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