日本への原爆は戦争を終わらせるために必要だった?

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日本の原爆についてキウィのお婆ちゃんから

先日戦争を知っているニュージーランドのおばあちゃんと話す機会がありました。

彼女はご主人が戦争(第一次世界大戦)に出兵しているくらいの世代です。
(NZは第二次世界大戦にはほぼ参加していません)

そのお婆ちゃんが昔を思い出しながら

「戦争は本当に酷いものなの」

と私に言ってきました。

そしてその後、私が日本から来たという事が分かると、ちょっと驚いたような表情に。
それから数秒、思いを巡らせたあと、私にこう訊いてきました。

 

「あれは日本が始めたって知ってた?真珠湾を攻撃したのよ」

 

その言葉を皮切りに、おばあちゃんはポツリポツリと戦争の話を始めました。

特攻部隊や神風の事にも話が及びました。

「なぜあんなことをしたのかしらね」
「ラジオのニュースでで状況を聴いていたけれど、すごく傲慢だったと思うわ。」

 

と。

 

そして最後にこう締めくくりました。

 

「原爆は酷かったけれど、でもねあれは必要なものだったの」
「そうでもしなければ戦争は終わらなかったから」

 

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日本人は戦争を望んでいなかった

ここでしっかりと付け加えておきますが、彼女の口調は詰問してる様子では全くなく、むしろ静かでした。

何故日本はあんな酷いことをしたのか本当に理解出来ないし、神風の考えも理解出来ない。
昔の日本は酷かったわよね。

という様子でした。

 

私も神風の概念も正直理解出来ないですし、特攻部隊は言うまでもありません。
風の力なんて正直バカげていると思いますし、何故若い命が国のために捧げられなければならないのかさっぱり分かりません。

真珠湾についてはその理由は分かっていました。

しかしこのタイミングで目の前のこの90代の少し記憶が曖昧になっているお婆ちゃんに、その理由を真っ向から伝えるのは正しいことなのでしょうか。
正義と正しさが違うように、これは伝えるタイミングではないと私は思いました。

なので、私からの主張を伝えるよりもむしろ日本人の誰しもがあれを望んでは居なかったことを伝え、併せて私の体験をお話しました。

実際私の祖父が第二次世界大戦で酷い目に遭い、その後の精神状態も良くなかったため、その後酒におぼれて家族にDVをはたらいて、最終的には肝臓を壊して早くに亡くなったこと。

それを目の当たりにしていた、当時子どもだった私の父は、そのショックで、酒飲みを毛嫌いするようになったこと、そして自身もほぼお酒を飲まなかったこと。

 

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原爆は本当に必要なものだった?

お婆ちゃんは「あの酷い戦争を終わらせるにはあの原爆は必要なものだった」と。

一体ニュージーランドでどれくらいの人数の方がそう思っているのか分かりません。
しかしそのおばあちゃんはユニークな性格な人ではなく、どちらかというと穏やかでもの静かな方なので、何も言わなくても同じように思っている年配の方は沢山居るのかなと推測します。

しかし日本で生まれ、日本の歴史を学んで、実際に被害を受けた人の親戚や家族から話を聞いて来た私にとって、その一言はかなり衝撃的でした。

私はどうしても原爆は必要なものだったとは思えませんしこれからも思わないでしょう、絶対に

 

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戦争・原爆についての私とお婆ちゃんの考えの乖離、その理由

と同時に、同じ原爆という出来事ひとつを取ってみても、立場が違うとこんなにも受け取り方が違うのかと深く考えさせられました。
私にとっては原爆は二度と起きてはいけないものですが、お婆ちゃんにとっては平和をもたらすには必要なツールだった。

 

この見方の乖離は相互理解の不足から来るものでしょう。
お婆ちゃんはその後どれほど日本人が苦労したのかを知らない。
未だに精神的にも肉体的にも苦しんでいる人たちがいることすら知らない。

きっと知っていたらこんな事は口が裂けても言えないでしょう。
ましてや思慮深いこのお婆ちゃんなら尚更です。

 

こんな素敵なお婆ちゃんでも「知識がないという」理由でこんな事が言えてしまうんだと、凄く考えさせられました。

同時に、この無知は日本人にも日常起こり得るものでもあると
知らないからこそつい言ってしまう、その言葉が誰かを傷つけることもあるのだと。
本当に学ばされました。

 

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やっぱり戦争は正当化されるべきものではない

それと同時に、一万歩譲ってあれは必要だったと仮定しましょう。
それだとしても罪のない人を大量に死なせる正当な理由はどこにもない。

 

戦争は良い理由であっても悪い理由であっても、正当化されるべきではない

 

と改めて思いました。

 

今の私達に出来るのは、過去をあれこれ言うのではなく、

むしろ人と繋がっていくこと、人を知ること理解していくこと。

これが過去を詮索するよりも強力な平和へのステップになると私は思っています。

 

 

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