あの日から8年
本日3月11日。あの東日本大震災から8年が経過しました。
その日を境に我が家を取り巻く環境は目まぐるしく動き、8年経った今では当時では予想もつかない所に辿りついています。一体英語をろくに話せない人が何故ここに居るんだろうなあと思いながらも、同時に当時住んでいた場所を振り返ってみると、やっぱり居られる場所ではなかったなとも思い、そうなると今の場所は居るべくして居るのかもしれないなという気持ちにもなったりもします。
私自身あまりあっちこっち渡り歩く人でもないので、住まいを頻繁に帰るのは結構苦手だったりするんですよね。それにもかかわらず私は震災後何回か住所を変えました。関東で死ぬまで暮らしていくんだろうなと思っていたのに、関東からだいぶ遠く離れた場所に引っ越してしまいました。遠いだけなら良いのですが、今はもう海外まで来てしまった。
大阪に居た頃はまだ、住んでいた都内を懐かしんで切なく思う事は多くありました。私の生まれ育った場所ですから、あんまり悪く思いたくないのが正直な所でもありました。
しかし遠く離れた地に住んでいる今、都内に住んでいた頃の記憶にだいぶ靄が掛かり始めてきています。池袋って聞くとものの数十分で行けそうなくらいに身近に感じているのに、反面、私がそこに居た時の記憶が少しづつ朧げになっている感じです。
切ないという気持ちは少しづつ薄らいで、反面あそこはやたらと人の多かった場所だったという、ちょっと部外者的な見方も出て来てきています。実際そこに長い間住んで居たはずなのに。このギャップがとても私には奇妙に感じます。何だかあれは違う人生だったかのような気すらして、それが私にまた違う複雑な感情をもたらしています。
そこに住んでいる私の大切な友人たちは今でも元気なのだろうか、と思う反面、その人達の記憶の中には、もはや住んでもいない私の存在は消えて無くなってしまっただろうなという思い。
まぁでもこれが私が選んだ道だから仕方がないことなのでしょうね。そう思わないとやっていけないのかもしれません。
とは言えこちらの生活はこちらの生活で、我が家が海外に出たときに予想していた時ほどには悪くはないもので、寧ろ日本では出来なかっただろうことを沢山経験し、また沢山の素敵な出会いにも恵まれました。
娘の英語はビックリするくらいにメキメキと上達し、発音は最早ネイティブになっています。これだって他の方の助けがなかったら成しえなかったことです。
周りの方々に感謝しかありません。
震災直後のブログ記事
これとはまた違うブログですが、以前私は違う場所にブログを書いていて、そこに震災後に書いた記事があります。今日は311にちなんでその記事を紹介したいなと思います。文才のかけらもない記事ですが、気持ちの変遷が感じられたら嬉しいなと思います。
「東日本大震災」
3月11日。
私はこの日を一生忘れないでしょう。
関東は余震は依然続くとはいえ。
被災地で濁流にのみ込まれてお亡くなりになった方々。
心からご冥福をお祈りします。
どんなにか、どんなにか苦しくて悔しい思いでしょう。
それを思うと、おこがましくも涙が出てきます。未だなお、物資も届かないまま救援を待ち続けている、避難所に居る方々。
避難所にも到達できていない、まだ依然死と隣り合わせの危険な状態に居る方々。一刻も早く見つけられ、十分な食事を取り、睡眠を取ることが出来ますように。
特に避難所に居る乳児と幼児を抱えている方々。
感染症や風邪等でたやすく水も飲まなくなるでしょう。
そもそもあげたくたって、綺麗な水だってないでしょう。乳児や幼児はいともたやすく脱水になりますし、
脱水は即、死に繋がってしまいます。
どんなにか心配に思っていることでしょう。どうかこの状況が一刻も早く復旧しますように。
「今回の地震で感じたこと」
今なお続いている余震。
関東地区の皆さんなら痛いほど分かってくれると思いますが、
地震が来るたびに胃をギュッとつかまれるような
そんな不安な気持ちになっています。きっと私はじめ、皆さんが一番聞きたいのは
今後、また今回みたいな大きな地震は来るの?来ないの?
その一点なんだと、思うんです。
少なくとも私はそうです。
私自身怖いという気持ち、もちろん無い訳じゃないです。
だけど一番の不安点は娘。もし大きな地震が来たとしたら。
もし避難するような状況に陥ったら。私は娘をしっかりと守っていけるのだろうか。
まだ娘は1歳。消化器官だって未熟です。
大人だったらある意味適当な食事だとしても
生きていくには何ら問題がない。
だけど娘はまだ抵抗力、免疫がありません。感染症、インフルエンザみたいな風邪だってそう。
大人がもしインフルに罹ったとしても
ある意味「寝ていれば」時間がかかっても治っていくことが多い。だけど小さな子供はインフルによって
体力も落ち、そして何しろ水も飲まなくなってしまいます。
また不衛生な環境から嘔吐下痢なんてしたら一発でグッタリです。
(この前の嘔吐下痢の時はかなり心配しました)
こんな時に点滴も出来ない、薬も飲ませられない状況になってしまうなら
それこそ簡単に死活問題になってしまいます。
きっと小さなお子さんがいる方なら分かってくれますよね。だからこそご飯だってしっかり火を通したものをゆっくりと上げたい。
そして免疫を下げさせないためには睡眠だって必要。
ぐっすりと温かな場所で休ませてあげたい。それが出来ない状況を考え出すと本当に怖いです。
断じてそうさせるものかと、嫌なことは考えないようにしています。私は出産してからというもの、
怖いものが多くなった気がします。
守るべき、まだまだ弱い存在がいるから。どうぞこのまま余震が治まってくれますように。
そして皆さんの生活が早く、一日も早く通常通りになりますように。
来年は何を思うのか
来年の今頃は何をどう思っているのでしょうか。
娘はすっかり今日の震災のことを忘れているので、近々改めて話す機会があったらいいなと思います。
この記事を見返すときも、また笑顔でいられますように。
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