日本に原爆は必要だった?

アイキャッチ画像
スポンサーリンク
レクタングル336×280




おばあちゃんのお話

先日戦争を知っているニュージーランドのおばあちゃんと話す機会がありました。彼女はご主人が一度戦争に送り出しているくらいの世代です(恐らく第一次世界大戦)。

「戦争は本当に酷いものなの」

と彼女。

そして話の流れで私が日本から来たという事が分かるとちょっと驚いたような表情になり、数秒何かを考えた後、私にこう訊いてきました。

「あれは日本が始めたって知ってた?真珠湾を攻撃したのよ」

特攻部隊や神風の事にも言及し

「なぜあんなことをしたのかしら」

と訊いてきました。

そして最後にこう締めくくりました。

「原爆は酷かったけれどあれは必要なものだったの」

彼女の質問への私の対応

ここでしっかりと付け加えておきますが、彼女の口調は詰問風では全くなくむしろ静かで、何故そんな酷いことをしたのか本当に分からないし、神風の考えも理解出来ないから知りたいという様子でした。

私も神風の概念も正直理解出来ないですし、特攻部隊は言うまでもないですし、真珠湾を攻撃した理由は分かっても、このお婆ちゃんにそれをこのタイミングで伝えるのは適切な事でもなかったので、その事は脇に置き、日本人の誰しもがあれを望んでは居なかったし、実際私の祖父が戦争で酷い目に遭い、その後の精神状態も良くなかったため酒におぼれて肝臓を壊して早くに亡くなった事を伝えました。

原爆は本当に必要なものだったか

お婆ちゃんは「あの酷い戦争を終わらせるにはあの原爆は必要なものだった」と。

一体ニュージーランドでどれくらいの人数の方がそう思っているのか分かりませんが、そのおばあちゃんはユニークな性格な人ではなく、どちらかというと穏やかで静かな方なので、同じように思っている方はその人以外でも沢山居るのかなと推測します。

しかし日本で生まれ、日本の歴史を学んで、実際に被害を受けた人の親戚や家族から話を聞いて来た私にとって、その一言はかなり衝撃的でした。私はどうしても原爆は必要なものだったとは思えませんしこれからも思わないでしょう、絶対に

互いの考えの乖離の理由

と同時に、同じ原爆という事件ひとつを取ってみても、立場が違うとこんなにも受け取り方が違うのかと深く考えさせられました。私にとっては原爆は二度と起きてはいけないものですが、お婆ちゃんにとっては平和をもたらすには必要なツールだった。

この見方の乖離は相互理解の不足から来るものでしょう。お婆ちゃんはその後の日本人を知らない。未だにそれで苦しんでいる人たちがいることを知らない。きっと知っていたらこんな事は口が裂けても言えないでしょう。ましてや思慮深いこのお婆ちゃんなら尚更です。

こんな素敵なお婆ちゃんでも知識がないという理由でこんな事を言ってしまうんだなと、凄く考えさせられました。と同時に、この無知は日本人にも日常起こり得るものでもあると。強力な教訓となりました。

戦争は正当化されるべきものではない

それと同時に、一万歩譲ってあれは必要だったと仮定しましょう、それだとしても罪のない人を大量に死なせる正当な理由はどこにもない。

戦争は良い理由であっても悪い理由であっても、正当化されるべきではない

と改めて思いました。

今の私達に出来るのは、過去をあれこれ言うのではなく、むしろ人と繋がっていくこと、人を知ること理解していくこと、これが過去を詮索するよりも強力な平和へのステップになると私は思っています。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ ニュージーランド情報へ
にほんブログ村
スポンサーリンク
レクタングル336×280




レクタングル336×280




シェアする

フォローする